咳が続くのはなぜ?:長引く咳の正体と最新の治療戦略
- くりた内科・内視鏡クリニック

- 10月25日
- 読了時間: 16分

咳は、患者様が医療機関を受診する最も頻度の高い主訴の一つです。多くの場合、咳は風邪とともに自然に治まりますが、長引く場合は患者様の生活の質(QOL)を著しく低下させ、体力を奪います。当院では、咳の期間、性質、および患者様の体質に基づき、エビデンスに基づいた的確な診断と治療を行うことを重視しています。
本記事では、咳が体にもたらす影響から、長引く咳の原因、そして西洋医学・東洋医学、さらには最新の難治性治療まで、多角的に解説いたします。
「たかが咳、されど咳」:咳の役割と期間による分類
咳が持つ重要な意味と、その裏側にある消耗
咳は、気道に侵入した異物や病原体を体外に排出するための、不可欠な「生体防御反応」です。しかし、この防御反応が過剰になったり、長期間続いたりすると、患者様の健康を大きく損ないます。
咳が体力を消耗させるという事実は広く知られていますが、「1 回の咳で2kcal 消費する」という都市伝説は誇張されています。健康な若者を対象とした研究によると、咳による純粋なエネルギー消費量は1 回の咳あたり約0.04 kcal 程度と推算されており、1 分間に連続して咳をしてようやく2kcal を消費するレベルです。しかし、夜間の激しい咳は、睡眠障害を引き起こし、昼夜を問わずQOL を著しく低下させます。
さらに、激しい咳が続くと、物理的な合併症を引き起こすリスクがあります。軽いものでは結膜下出血、深刻なものでは、肋骨骨折、尿失禁、咳による失神のほか、まれに頭蓋内出血や脳卒中といった生命に関わる重大な事態に発展する可能性も指摘されています。
咳の期間による分類と受診の目安
医学的な観点から、咳の診断を進める上で、その持続期間が最も重要な手がかりとなります。咳は持続期間によって、以下の3 つに分類されます。
急性咳嗽
持続期間が3 週間(21 日)未満。
遷延性(亜急性)咳嗽
持続期間が3 週間〜8 週間(22 日〜56 日)未満。
慢性咳嗽
持続期間が8 週間(57 日)以上。
ここで重要なのは、患者様が「長引く」と感じる感覚と、医学的な定義との間にしばしばずれがある点です。臨床的なカットオフは3 週間ですが、一般的な風邪による咳の平均持続期間は文献的に17.8 日とされています。このことから、咳が1 週間を過ぎても症状のピークを過ぎていない、または悪化傾向にある場合は、単なるウイルス感染の範疇を超え、マイコプラズマや百日咳といった特定の感染症の可能性を考慮し始める必要があります。
以下に、咳の分類と受診の目安をまとめます。
咳の分類と受診の目安
分類 | 持続期間の目安 | 主な原因(大人) | 治療の考え方 |
急性咳嗽 | 3 週間未満 | ウイルス感染(風邪)、細菌感染初期 | 対症療法が中心。重篤なサインがあれば精査。 |
遷延性咳嗽 | 3 週間以上8週間未満 | 感染後咳嗽(最多)、咳喘息、鼻副鼻腔炎など | 鑑別診断を開始。慢性期疾患への移行を警戒。 |
慢性咳嗽 | 8 週間以上 | 咳喘息、GERD、SBS など | 原因を特定するための専門的な精査と診断的治療。 |
3週間未満の咳(急性咳嗽):風邪と抗菌薬の正しい知識
急性咳嗽のほとんどは「風邪」である
急性咳嗽の原因の多くは、ウイルスや細菌による急性上気道炎や下気道感染症、つまり一般的な「風邪」です。そのため、多くの急性咳嗽は時間経過とともに自然に軽快します。
しかし、急性期であっても、迅速な診断と治療が必要な「レッドフラッグス」(重篤な疾患を疑うサイン)が存在します。以下の症状が伴う場合は、肺炎、肺癌、肺結核などの重篤な疾患を迅速に鑑別するために、胸部X 線検査や血液検査を含む精査が必要です。
発熱、呼吸困難、血痰、胸痛。
体重減少、全身倦怠感、嚥下障害。
45 歳以上の喫煙者で、咳の性状が新たに、または変調した場合。
聴診上の異常音(喘鳴、ラ音)が確認された場合。
抗菌薬・鎮咳薬の適正使用の原則
急性咳嗽の多くはウイルス性であるため、抗菌薬は原則として不要です。抗菌薬は細菌感染症に特異的な治療薬であり、ウイルスには効果がありません。不必要な抗菌薬の使用は、薬剤耐性(AMR)菌の発生を促進するだけでなく、患者様自身にも副作用のリスクをもたらします。
また、咳を抑制する中枢性鎮咳薬(いわゆる咳止め)の使用についても、EBM(科学的根拠)は限定的です。小児の咳嗽診療ガイドライン(2025 年版)では、小児の急性咳嗽に対して、中枢性鎮咳薬、抗ヒスタミン薬、吸入ステロイド薬(ICS)、ロイコトリエン受容体拮抗薬(LTRA)などの薬物を「一律には投与しないこと」を強く推奨しています(グレード1B、強い推奨)。これは、これらの薬物の有効性を示すエビデンスが乏しいだけでなく、生体防御反応としての咳を不必要に抑制することによるリスクを避けるべきであるという強いメッセージが込められています。西洋医学における咳の対症療法は、特に急性期においてはその使用を慎重に判断することがEBM の基本です。
3週〜8週の咳(遷延性咳嗽):長引く感染症の見極め方
感染後咳嗽と非定型感染症の鑑別
咳が3 週間を超え8 週間未満続く「遷延性咳嗽」では、原因の特定が重要になります。この期間の咳の最多の原因は、先行するウイルス感染後に咳反射の亢進が残り、徐々に自然軽快していく「感染後咳嗽」です。感染後咳嗽と診断された場合、特異的な治療薬は存在しないため、対症療法を行いながら自然軽快を待つことが原則です(診断的治療としての対症療法は2 週間程度)。
しかし、この時期には、マイコプラズマや百日咳といった非定型感染症が紛れ込んでいる可能性があり、これらを見逃さずに診断することが重要です。
マイコプラズマと抗菌薬適正使用
肺炎マイコプラズマによる気道感染症は、気管支炎から肺炎に至るまで幅広い臨床像を示しますが、治療の原則は「抗菌薬の適応は原則肺炎像がある場合のみ」です。肺炎を伴わないマイコプラズマによる急性気管支炎は、自然によくなる細菌感染症の一つと捉えられ、抗菌薬治療の必要性を支持する根拠は乏しいとされています。
実臨床において、マイコプラズマ感染症に対する抗菌薬開始を検討するのは、以下のいずれかの条件を満たす場合です。
明確な肺炎像があり、検査で確定または他の治療で改善しない場合。
明確な肺炎像がなくても、喘息の急性増悪の誘因としてマイコプラズマが強く疑われる場合。
3日たっても38度以上の熱が下がらず、患者様が非常につらくて困っている場合(患者様のQOL に基づいた判断)。
マイコプラズマ治療では、マクロライド系抗菌薬が第一選択となりやすいですが、近年、マクロライド耐性の問題が世界的に注目されており、日本でも耐性株の比率が変動しています(過去には80%台に達し、現在は20%〜40%程度で推移)。
マクロライド系抗菌薬やキノロン系抗菌薬は、薬剤耐性(AMR)対策のアクションプランで使用削減の目標が設定されている薬剤です。そのため、医師は「使わない」という選択肢を常に検討する必要があります。日本の高い医療アクセスを活かし、最初は抗菌薬なしで数日経過をみて再評価を行う**「見め段階処方戦略」**は非常に効果的です。適切な診断と抗菌薬の適正使用は、患者様個人の治療成功だけでなく、地域社会全体の薬剤耐性対策にも貢献します。
百日咳の診断と治療の緊急性
百日咳は、成人では咳嗽後の嘔吐や吸気時の笛声といった典型的な症状がみられないことも多く、臨床症状のみでの診断が難しい場合があります。早期診断には、LAMP法やマルチプレックスPCR 検査などの遺伝子検査が有用です。
百日咳の治療においては、タイミングが重要です。発症後2 週間以内でなければ、抗菌薬は症状の経過を短縮させる効果が期待できません。しかし、発症後3 週間を超えていても、激しい咳による肋骨骨折や失神などの続発症リスク、そして何よりも、妊婦や新生児などのハイリスク者への感染伝播を防ぐ目的で、抗菌薬投与(原則マクロライド系)が推奨されます。重症化リスクの高い患者様(妊婦、高齢者、喘息・COPD 患者)は、発症から6 週間以内まで治療が推奨されます。
小児の難治性湿性咳嗽:副鼻腔気管支炎症候群(SBS)
成人を対象とする当院の診療内容とは異なりますが、小児の長引く咳に関する知識は、ご家族の健康を守る上で重要です。小児の長引く湿性咳嗽で、気管支喘息の治療を行っても効果がみられない場合、**副鼻腔気管支炎症候群(SBS)**の合併を疑う必要があります。
SBS は、上気道(副鼻腔)と下気道(気管支)に慢性・反復性の好中球性気道炎症を合併した病態です。小児期のSBS の中には、**線毛機能不全症候群(PCD)**と呼ばれる遺伝性疾患が含まれます。PCD は、新生児期からの呼吸器症状、慢性副鼻腔炎、滲出性中耳炎の既往のほか、約半数で内臓の位置が左右逆になる「内臓逆位」を伴うことが特徴です。胸部CT では気管支拡張所見を認めることもあります。PCD を疑う際には、PICADAR スコアなどを用いて精査の必要性を判断し、遺伝子解析を行うことが必要です。
8週間以上続く慢性咳嗽の正体:日本の「三大原因」を知る
咳が8 週間以上続く慢性咳嗽では、その原因は感染症ではなく、特定の慢性疾患であることがほとんどです。胸部X 線や聴診で異常がない「狭義の慢性咳嗽」の日本における主な原因は、**咳喘(27.5%)、副鼻腔気管支症候群(10.8%)、アトピー咳嗽(9.3%)**の「三大原因」が上位を占めます。注目すべき点として、慢性咳嗽患者の約40%に複数の原因が合併していることが報告されており、特に咳喘息と胃食道逆流症(GERD)の合併頻度が高いことが知られています。
治療的診断(トライアル)の概念
慢性咳嗽の診断においては、すべての患者で原因を検査だけで特定できるわけではありません。そのため、病歴や身体所見から最も可能性の高い疾患を推定し、その疾患に対する特異的治療を試みて、その治療の奏効をもって診断を確定させるというアプローチ(治療的診断)が、ガイドラインで容認されています。
主要な原因疾患とその特徴、および診断的治療
日本における慢性咳嗽の主な原因疾患と治療的診断
原因疾患 | 特徴的な症状の傾向 | 推奨される診断的治療(トライアル) | 効果判定期間の目安 |
咳喘息 (CVA) | 夜間・早朝に悪化。喘鳴なし。季節性。 | ICS/LABA (吸入ステロイド薬/長時間作用性気管支拡張薬) | 2 週間 |
副鼻腔気管支症候群 (SBS) | 湿性咳嗽(痰を伴う)。後鼻漏、膿性痰。 | マクロライド系抗菌薬(少量長期) | 4〜8 週間 |
胃食道逆流症 (GERD) | 会話時、食後、臥床時の悪化。胸やけ。 | PPI/P-CAB (プロトンポンプ阻害薬) | 4〜8 週間 |
アトピー咳嗽 | 乾性咳嗽。喉のイガイガ感、掻痒感。 | 抗アレルギー薬 | 2 週間 |
咳喘息(CVA)
咳喘息は、喘鳴(ヒューヒュー、ゼーゼー)を伴わない喘息の亜型です。深夜から早朝にかけての咳の悪化、季節性や日差(一日の時間帯による変動)があることが特徴です。気管支拡張薬(β2 刺激薬)が咳に有効であることが診断的特徴となりますが、治療の主体は炎症を抑えるICS/LABA(吸入ステロイド薬/長時間作用性気管支拡張薬)による長期管理です。咳喘息が典型的な喘息へ移行するのを防ぐため、診断時からの適切なICS 使用が重要とされています。
アトピー咳嗽:アレルギーが起こす喉の「ムズムズ咳」を抑える薬
咳喘息と並んで、乾性咳嗽(痰を伴わない咳)の重要な原因の一つがアトピー咳嗽です。この疾患の最大の特徴は、アレルギー体質を背景に、冷気や会話などのわずかな刺激で喉がイガイガし、激しい咳が誘発されることです。
この病態の治療に用いられるのが抗アレルギー薬です。これは、正式にはヒスタミンH1受容体拮抗薬と呼ばれ、アレルギー反応を引き起こす主要な物質である「ヒスタミン」の作用をブロックすることで、喉の過敏な状態(かゆみやイガイガ感)を鎮め、咳を抑えます。
アトピー咳嗽の診断は、吸入ステロイド薬が無効であることを確認した上で、この抗アレルギー薬を2 週間試用し、咳が改善するかどうかで確定します。この薬は、本来アレルギー治療薬でありながら、咳に特異的に効果を発揮するという点で、診断的治療の鍵を握ります。
胃食道逆流症(GERD)
GERD による咳は、日本でも増加傾向にあり、食道症状(胸やけや呑酸)の有無にかかわらず発症することがあります。特徴的な病歴として、会話時、食後、仰臥位、上半身を前屈したとき、または体重増加に伴って咳が悪化する傾向があります。
重要な点として、内視鏡検査はGERD による咳の確定診断における感度が低い(15%程度)ため、内視鏡で食道炎が確認できなくても、GERD による咳は否定できません。酸分泌抑制薬(PPI やP-CAB)による診断的治療を4〜8 週間実施し、効果を確認します。咳と逆流は相互に悪循環を形成するため、咳喘息など他の疾患との合併が多いことにも留意が必要です。
診断に役立つ専門的検査
慢性咳嗽の診断を進める上で、以下の専門的検査が検討されます。
胸部X線・CT検査
胸部X 線は全例で必須ですが、X 線で異常がない場合でも、肺癌のリスクが高い患者様や、気管支拡張症やびまん性気管支壁肥厚などの軽微な所見を確認するためにCT 検査が検討されます。
呼気中一酸化窒素濃度(FeNO)測定
咳喘息や非喘息性好酸球性気管支炎など、気道の好酸球性炎症の程度を評価する検査です。この数値が高い場合(目安として50 ppb 以上)、吸入ステロイド薬が有効である可能性が高いことを示唆します。
咳止め薬と漢方の使い分け:対症療法の原則と知恵
西洋医学的鎮咳薬の位置づけと注意点
西洋医学における鎮咳薬は、主に「中枢性鎮咳薬」(咳中枢に作用)と「疾患特異的治療薬」(末梢性に作用)に分類されます。
中枢性鎮咳薬(麻薬性:コデインなど、非麻薬性:デキストロメトルファンなど)は、原因とは無関係に咳を抑える非特異的治療薬であり、生体防御機構としての咳まで抑制してしまいます。そのため、鎮咳薬の使用は、合併症を伴いQOL を著しく低下させる乾性咳嗽に限って使用するのが原則とされています。
麻薬性鎮咳薬(コデイン、塩酸モルヒネ)の注意点
確実な鎮咳効果が期待できますが、便秘や眠気といった副作用が多いです。特に、湿性咳嗽(痰が多い咳)や喘息増悪時にオピオイド系の鎮咳薬を使用すると、気管支が攣縮し、症状を悪化させるリスクがあるため、使用を厳に避けるべきです。
非麻薬性鎮咳薬であるデキストロメトルファン(メジコン)は、比較的エビデンスが確立されていまが、即効性はなく、数日間の内服が必要とされています。また、高齢者への処方では、転倒のリスクに注意が必要です。
民間療法としてのハチミツ
1 歳未満の小児はボツリヌス症のリスクがあるため禁忌ですが、1 歳以上の小児の夜間咳嗽に対しては、就寝前にスプーン1 杯(2.5mL)のハチミツを摂取することが、咳の頻度を減少させ、睡眠の質を改善するというエビデンスが報告されています。これは、ハチミツの甘味が咳反射に関わる神経に作用している可能性が示唆されています。
東洋医学(漢方薬)による「個別化治療」
西洋医学的治療では、症状に対する処方が画一的になりがちですが、東洋医学的アプローチでは、患者様の体質や、咳が悪化する特定の要因(寒・熱・乾)に合わせて処方する「個別化医療」が可能です。レスポンダーであれば、漢方薬の有効性を強く実感できることが多いです。
漢方薬による咳の「悪化要因」別アプローチ
悪化要因 | 主な症状 | 代表的な漢方薬 | 薬の作用イメージ |
寒冷刺激 | 水様性鼻汁を伴う咳、冷えで悪化 | 小青竜湯 | 体を温め(麻黄、桂皮など)、水を収斂する。 |
温熱刺激 | 激しい咳、温かい場所や布団で悪化 | 麻杏甘石湯・五虎湯 | 炎症を鎮め、熱を冷ます(石膏を含む)。 |
乾燥 | 乾性咳嗽、夜間の咳、痰が少ない | 麦門冬湯 | 気道を潤し(麦門冬)、乾燥を改善する。 |
寒冷と温熱 | どちらの刺激でも悪化(痰を伴う) | 小青竜湯 + 五虎湯(竜虎湯) | 寒と熱、両方の複雑な病態を同時に調整。 |
例えば、麦門冬湯は、乾性咳嗽や痰が少ない咳に有効であり、主薬の麦門冬には気道を潤す作用があります。一方、小青竜湯は、体を温め、水様性の鼻汁や痰を収斂(引き締める)作用があります。
興味深いことに、悪化要因が二つある場合、これらを併用することがあります。例えば、寒冷刺激と乾燥の両方で悪化する場合、小青竜湯と麦門冬湯の併用が有効です。これは、小青竜湯の「水を収斂し温める」作用と、麦門冬湯の「気道を潤す」作用が、一見矛盾するように見えても、患者様の体内で「冷えによる水分代謝の異常」と「粘膜乾燥による刺激」という複数の病態が同時に存在していることに対して、両方の側面から補正しようとする、東洋医学の複雑な個別化治療の一面を示しています。
難治性の咳への挑戦:最新の概念「咳過敏症候群」
難治性慢性咳嗽と咳過敏症候群(CHS)
慢性咳嗽の原因疾患(咳喘息、GERD、SBS など)に対する最適な治療を十分に行っても、なお改善しない咳や、原因が特定できない咳は、「難治性慢性咳嗽(RCC)」または「原因不明の慢性咳嗽(UCC)」と呼ばれます。専門外来では、このような難治例が20%から40%存在するとされています。
近年、これらの難治性の咳の根底にある、従来の疾患分類を超えた共通の病態として、「咳過敏症候群(CHS: Cough Hypersensitivity Syndrome)」という新しい概念が提唱されています。
CHS の患者様は、冷気、会話、香水などの香り、歌う・笑う、食事など、通常では咳が出ないようなわずかな刺激によって咳が誘発されることが特徴です。これは、咳が単なる反射ではなく、末梢神経の知覚過敏化や中枢神経系の機能異常が関与しているためと考えられています。
この病態へのアプローチは、神経障害性疼痛に用いられる薬剤(ニューロモデュレーター)が検討されることからも分かるように、慢性的な咳が、身体の防御反応から逸脱し、**神経系の過敏化(機能異常)**によって発生している、慢性疼痛に近い状態であると捉えられています。咳の「悪循環」が形成され、わずかな刺激でも咳中枢が容易に反応してしまう状態が、CHS の核となります。
難治性咳嗽に対する最新の標的治療薬
このような神経系の異常によって引き起こされる難治性の咳に対し、特異的に作用する最新の治療薬として、**P2X3 受容体拮抗薬(ゲーファピキサント/リフヌア)**が開発されました。
ゲーファピキサントは、世界に先駆けて2022 年に日本で「難治性の慢性咳嗽」を適応症として発売された、最も期待されている薬剤です。作用機序は、咳の求心性迷走神経に発現するP2X3 受容体を選択的にブロックすることです。この受容体は、炎症や刺激により病的に増加した内因性ATP によって活性化され、咳を誘発します。
P2X3 受容体拮抗薬は、あくまで病的な咳反射の過敏状態を改善する末梢性の薬剤であり、生理的な咳反射は抑制しないと考えられています。これにより、従来の非特異的な中枢性鎮咳薬では達成できなかった、より的確な鎮咳効果が期待されます。ただし、ATP は味神経への神経伝達物質でもあるため、ゲーファピキサントの副作用として味覚障害が高頻度で発生しますが、通常は服薬中止により回復します。難治性慢性咳嗽に苦しむ患者様にとって、この新しい治療選択肢は大きな希望となっていま
す。
まとめ:当院が目指す咳診療と読者へのメッセージ
当院が提供する咳診療の原則
咳は単一の症状ではなく、その背景には急性感染症から、咳喘息、GERD、副鼻腔気管支症候群、さらには神経機能の異常まで、多様な病態が隠れています。当院では、患者様一人ひとりに合わせた最適な治療を提供するため、以下の原則に基づいた診療を徹底しています。
鑑別診断の徹底
咳の期間分類と重篤な疾患の除外(レッドフラッグス)から開始し、ガイドラインに沿った系統的な診断フローチャートに基づき、原因を追求します。
EBMに基づく特異的治療の優先
むやみに咳止めや抗菌薬を使用せず、小児・成人それぞれのガイドラインに基づき、原因疾患(例えば、咳喘息であればICS/LABA、GERD であればPPI/P-CAB)に対する特異的治療を優先します。
個別化された治療の提供
西洋医学的な治療に加え、患者様の咳の悪化要因(寒熱乾燥)や体質を丁寧に評価し、漢方薬を組み合わせたきめ細やかな対症療法も提案することで、QOL の改善を目指します。
最新の知見への対応
難治性の慢性咳嗽に対しては、P2X3 受容体拮抗薬(ゲーファピキサント)をはじめとする最新の標的治療の適用も視野に入れ、専門的な治療戦略をご提案します。
咳で悩む読者へのメッセージ
咳は、体力を消耗させ、日常生活や睡眠の質を著しく低下させる深刻な症状です。「たかが風邪の咳」と自己判断せず、咳が3週間以上続く場合は、必ず医療機関にご相談ください。長引く咳の背景には、咳喘息、GERD、SBS、そして最新の難治性咳嗽(CHS)など、的確な診断と専門的な治療を要する病態が隠れている可能性があります。
当院では、最新の医学的知見に基づき、患者様一人ひとりの咳のパターンと体質を見極め、最適な治療戦略をご提案し、つらい咳からの解放をサポートいたします。



